真夜中の読書家

夜だ。さあ、本を読もう。

劉 慈欣「三体0 球状閃電」にちょっと異議あり

「三体」シリーズは、全部読んでいる。随分と人気のようで、テレビや雑誌でも紹介されていた。非常に腹立たしいのである。人が褒められるのを見るのは大嫌いなのだ。心の狭さでは、町内一である。

さて、「三体の前日譚」とどこかに書いてあって、私は、ちょっと首をひねったのだ。あの作品に前日譚はいらないのではないか。今さら余計なものを付け加えるのは得策とは言えないのではないか。

そしたらあなた。ストーリー的には前日譚ではなかった。三体というのは、早い話が「なに~!? わしらの世界を脅かす異星人がいるやと。怪しからん。今のうちに滅ぼしてしまえ」という連中(三体人)から地球を守ろうというお話である。その前日譚であるならば、当然、三体人が出てくるのだろうと思ったら、出てくるのは地球人のみである。

訳者あとがきを読んで知ったのだが、元々は「三体」シリーズではなかったようだ。「三体」の前に書かれた全く別の作品なのである。訳者あとがきからちょっと抜き出してみよう。

「従って、‘‘『三体』三部作の前日譚的な要素のある単発長編’’とか、‘‘部分的プリクエル’’と呼ぶのが順当かも知れない。‘‘エピソード0’’的な意味で『三体0』と銘打てば、『三体X(著者が別人)』とのバランスもとれるし……と半分冗談のつもりで口にしたところ、早川書房編集部がたちどころに著者側と交渉。意外にもすんなりOKが出て、こうして『三体0 球状閃電』なる翻訳書が誕生することになった」

あからさまに言うと「三体シリーズと銘打っといた方が、ぎょうさん売れまっせ」ということなのだ。確かにそれはビジネスとしては正しい。私だって、三体シリーズだから思わず手に取ったのである。

もちろん多少割り切れない部分があるのは確かで、これで三体0 球状閃電」が面白くなかったら、焚書の刑にしてやるのだが幸いにして面白かった。特に「量子の薔薇」という最後のエピソードは、骨子をパクって短編小説にしてやろうかと思ったくらい気に入った。もの悲しくも美しいのである。

詐欺的商法ではあるが、まあ、許してやろうと思う。