真夜中の読書家

夜だ。さあ、本を読もう。

筒井康隆「カーテンコール」をこれから買いに行く。

新聞は、今は読売新聞を読んでいる。前は捏造偏向なんでもありの朝日新聞だった。

言い訳すると広告業界の人間は、朝日新聞をとっていることが多かったのだ。昔、広告業界の求人は、朝日が一番多かったことが影響しているのだろう。あとは広告掲載も朝日と日経が重要視されていたように思う。まあ、昔々の話だが。

何度も朝日(たぶん勧誘専門の業者)から「どこに変えたんですか」「年末の一ヶ月だけでも契約してくれませんか」などと電話がかかっていたが、バカめ。部数を減らしたくないのなら、捏造や偏向をやめれば良かったのだ。読者の声欄を使ってまで、世論操作をしやがって。

何が「軍艦島に強制連行された朝鮮人が可哀想」だ。捏造された歴史を信じ込む老害の投書を、そのまんま載せやがって。バカじゃないのか。朝日新聞などさっさと潰れてしまえと、心から願っているのである。

で、書きたいのは、そんなことじゃない。

読売新聞の広告欄に筒井康隆の新刊が載っていたのだ。「カーテンコール」という書籍である。どうやら掌編小説のようだ。キャッチフレーズに「これがおそらくわが最後の作品集になるだろう」と書かれていて、そりゃあ、筒井康隆も90歳近いはずで、いつ死んでもおかしくはない。ついこの間なくなったSF作家の豊田有恒は、まだ85歳だった。

私の希望的観測では、「カーテンコール」が最後の作品集ではないと思う。彼の死後、「これが本当に本当の最後の作品集である(筒井康隆(*ノω・*)テヘ)」という惹句で新刊が出るに違いない。いやいや、もしかすると第二第三の最後の作品集が出てくるかもしれず、さらには作品集ではなく大長編小説の可能性もなきにしもあらずだ。ああ、楽しみだなあ。

しかし、90歳近くになってまで小説を書いているとは驚くべきモチベーションである。病気でも体力がダダ落ちでも、小説はなんとか書ける。だが、気力がなくなれば、小説を書くことは無理なのだ。私などは高齢になって、まだなんとか空は飛べるのだが、小説を書くのは困難になってきた。

新しいキーボードを買ったりしてモチベーションを高め、どうにかこうにか文章を書いている昨今である。いやはや。