真夜中の読書家

夜だ。さあ、本を読もう。

「戦国十二刻 女人阿修羅」を読んで細川ガラシャの辞世の句を覚える。

木下昌樹という作家は、知らんかったなあ。

私は、どちらかというと海外ミステリーとSF小説が守備範囲で、時代小説はあまり読んでいない。まあ、北方謙三の「水滸伝」全19巻は何度も読み返しているし、司馬遼太郎の「国盗り物語」の冒頭の文章はサイコーに格好いいと思っているが。

さて、この間、「書架の探偵」という本を探しに図書館に行ったのだが残念ながら貸出中で、その代わりに借りたのが木下昌樹の「戦国十二刻 女人阿修羅」である。女性を主人公にした短編集で、どれもよくできていた。

絶世の美女が「顔じゃなく自分を愛してくれるのだという証を見せてくれ」などと言った結果、自分の身に恐ろしい出来事が起こったり、武芸自慢の女性が勘違いして取り返しの付かないことをやってしまったり、ちょっと怖い話もあるのだが、数時間で読み切った。

細川ガラシャの短編もよくできていて、特に最後に出てきた辞世の句は効果的に使われていた。お母さんの自転車を「ママチャリ」などと省略する今の日本人に、ぜひ読んでいただきたい句である。

【散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ】

花は散るときを知っているからこそ美しい。 人間もそうだ。 今こそ散るべきときである、という意味なのだが、辞世の句としては、これ以上ないほど見事である。

これまで私は、死ぬ間際に「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月の頃」を口にしようかと考えていたのだが、春以外の季節だったら祖語が生じる。「爺さん、ぼけちまってるよ。今は秋だよ」などと笑われてしまうのだ。

やはり、細川ガラシャの句にしておこうかと考えている。

以前は、自分で作ろうかと思っていたのだが、私の言葉の選び方は極めて「俗」なのだ。コピーライターなどと言う企業の幇間になったせいだろう。「プレバト!!」なら確実に才能なしである。嗚呼、情けなや。