真夜中の読書家

夜だ。さあ、本を読もう。

花村萬月の「たった独りのための小説教室」を先っちょだけ読む。

なにが嫌いかと言って、文章読本ほど嫌いなものはない。

あんなものを読んだってね、あなた、小説など書けません。小説を書くには資格が必要なのである。資格がない者が書けば、ガッカリして勘違いして恨みを募らせて、結局、京アニ事件を起こした青葉被告のようになってしまう。あの男は、一番重要な自分を客観視する能力が圧倒的に欠けていたんだろう。早い話が頭が悪かったのだ。

たまにデザイナーやコピーライターにも、自分(の作品)を客観視できない奴がいて、こういうのは実に迷惑な存在となる。以前、そんなのが某代理店にもいて、アートディレクターとしてさんざん失態を演じた末に地方に飛ばされた。二度と帰ってくるなよ馬鹿者が。

さて、文章読本の話である。私が持っているこの手の本は、筒井康隆の「あなたも流行作家になれる」と「創作の極意と掟」の二冊のみである。筒井康隆のファンだから買っただけだ。

で、最近図書館に行ったときに、たまたま花村萬月の「たった独りのための小説教室」という本を見つけ、ほお、花村萬月か、ああ懐かしやと借りたのである。

花村萬月というと以前「ぢんぢんぢん」というチンチンに濁点の小説を読んだことがあり、いやあ、あれはすごい小説だった。ちょっと漫画っぽい展開だったが、それでも圧倒されたのは事実である。腹が立ったので、それ以降、彼の小説は読んでいない。

さて、「たった独りのための小説教室」である。ちょっとだけ読んだのだが、これは手垢の付いていない若い人向けの文章読本である。花村萬月もそう書いている。

私のように手垢が付きすぎてチンコが黒ずんできたジジイの読む本ではない。さらには、小説家になりたいと考えるような自己顕示欲の塊のような人物が読む本でもない。

となると「たった独りのための小説教室」というタイトル自体が付け間違いなのではないか。「小説なんぞ書いてたまるかというマトモな人のための小説教室」が正しいタイトルなのではないかと思うのである。

まあ、読み物として面白いことは確かで、第4講「小説にオチはいらない」の課題はなかなか興味深かった。「ノンフィクションではなく、あくまでも虚構で、セックスの一部始終を四百字詰め原稿用紙にして四十枚程度を目処に書いてみなさい」という課題だ。

なに、セックスですと。セックスなら任しておきなさい、と私の絶倫ぶりを書こうとしたのだが、なんだ、虚構しか書いてはいかんのか。せっかく精液の色が赤になったり青になったり、一度など金色になってピカピカ光りだし相手の女性に宇宙人だと勘違いされたことを書いてやろうかと思ったのだが、あれは実話だからなあ。残念である。